2022/03/18 コラム

バイバイASIMO…。“ランドセル”を背負ったホンダの人間型ロボットがついに“卒業”。その功績を歴代モデルで振り返る

●その役目を終え、得られた知見は次世代へ

戦後、遠くへ食料の買い出しに自転車で行く妻の苦労を見かねて自転車用補助エンジンを開発したのが会社のスタートだったというホンダ。その想いが創業者 本田宗一郎の本音だったのか、誇張された美談となって神格化された話なのかはともかく、創業以来「技術は人のために」という企業精神を掲げて独創的な製品を開発してきたのは多くの人が知るところです。


●「困っている人を技術で助けたい」をカタチにしたCUB F(1952)

2000年に登場した人間型ロボット「ASIMO」も、そんなホンダのチャレンジの1つ。バイク、クルマ、そして飛行機といった乗り物のとはちょっぴり毛色の違う、でもホンダらしい存在でした。昨年末、20年以上長きにわたり進化を重ねてきた開発の中止が発表され、その後も日本科学未来館やホンダウエルカムプラザ青山でショーを行いながらホンダの理念や未来を語り続けてきましたが、今月末をもってその役目を終えることとなりました。


●ホンダウエルカムプラザ青山でショーを行っているASIMO

現在、ホンダウエルカムプラザ青山で行われている特別展示「ASIMO開発の歩み」では、1980年代の開発モデルから最新のASIMOまでが一堂に展示されています。あとわずかな時間ですが、これを機にちょっぴりASIMOの歴史を振り返ってみます。


●特別展示「ASIMO開発の歩み」は3月31日まで開催

1986年、ホンダが人間の2足歩行を研究するために作った最初のロボット「E0」が登場します。あらゆる地形を移動できる人間は究極のモビリティだとの考え方から手探りで研究を始めたASIMOの祖先です。言われてみればたしかに人間は2本の足でどんな凹凸も傾斜地も器用に進めますね。ちなみにこの年、ホンダはN.ピケとN.マンセルが駆るウイリアム・ホンダFW11で初のF1のワールドチャンピオンに輝きます。そんな時代に始まったホンダのロボット開発はその後、E1、E2、E3…と開発は続きE6で歩行安定化技術を確立。1993年には上半身も備えた人間型ロボットP1が登場します。


●ホンダが人間の2足歩行を研究するために作った最初のロボット「E0」(1986)

人間型となったP1の後継モデルP2で、これまで外置きだった電源やコンピュータは必要な機器を内蔵し自立し、1997年にはP3へと進化を遂げます。P3は身長160cm、体重130kgとちょっと重めですがサイズ感も人間にずいぶん近づき、白い樹脂で覆われたスタイリッシュなボディはASIMOの原型とも言えるデザインとなっています。


●P3(写真手前)のデザインはすでにASIMOに近い(1997)

このP3の次に登場するのが2000年に登場するASIMO、とホンダの公式サイトでは説明されています。ところが、同じ2000年の前半にもう一台の機体がありました。P3の改良型試作機という位置付だったこのモデルは、じつは一時期「P4」と名付けられツインリンクもてぎ(現 モビリティリゾートもてぎ)内、ホンダコレクションホール(栃木県)にも展示されていましたので記憶に残っている人もいると思います。このP4、ちょっとパープルっぽいアクセントカラーが使われており、それが90年代中盤にソニーから登場したパーソナルコンピュータVAIOっぽく感じたものです(そんな事思うのは筆者だけかもしれませんが…)。


●パープルのアクセントカラーが印象的な一番奥のモデルはP3改良型試作機(P4)

さて、個人的な余談はともかく2000年11月20日、これまでの研究開発で培ってきた技術の成果としてASIMOが誕生します。P3を洗練させたようなデザインのASIMOは身長120cm、体重43kgと小柄かつ軽量で柔らかいフォルムにとてもかわいらしさを感じます。ホンダによると、人間と同じ生活空間での活躍を想定してのサイズだそうですが、小学1年生くらいの身長と、その小さな体に似合わないほど大きなランドセルを背負ったようなフォルムにどことなく子供っぽさすら感じます。一方で宇宙服のような色使いや生命維持装置のような背中の大きな装置、ヘルメットには70年代のアポロ計画を思わせるような懐かしさと、未来感が同居。そんな不思議な感覚もあり、その親しみやすいデザインはASIMOの大きな特徴の一つでしょう。


●奥の背の低いモデルが初代ASIMO(2000)。右の最終モデルと比べるとデザイン的に四角さが残る

ドライバーWeb編集部

RELATED

RANKING