2021年3月18日に参加した「シビック取材会」。開催が5月31日まで延長されたホンダコレクションホールの企画展「CIVIC WORLD 受け継がれるHondaのDNA」に合わせて行われたものだ。歴代モデルの取材は、何と初代の体験試乗付き! 一方、同じくツインリンクもてぎの南コースには、全世界で限定1000台がアッという間に完売した、あのタイプRリミテッドエディションが用意されている。
ちなみに、シビックは初代の誕生から約48年余り。50年のアニバーサリーというわけではない。この企画展と取材会が催された狙いは、“言わずもがな”だろう。
それはさておき、コレクションホールの中庭ミニコースで待っていたのは、1973(昭和48)年式の初代シビック。CVCCエンジンを初めて搭載したモデルだ。
ホンダは60年代に入って2輪車で世界のトップメーカーになるや、64年のF1挑戦で列強を驚かせた。が、4輪の量産車でその名を欧米に知らしめたのは、達成不可能とさえ言われたアメリカの排ガス規制「マスキー法」を世界で初めてクリアした、このCVCCシビックだった。
軽快なハンドリングに驚く 筆者は触るのも運転するのも、今回が初めて。小さなキーをひねると、軽いクランキングで1.5LのED型エンジンは目覚めた。コトコトという穏やかなアイドリング。ブレーキとペダル段差の大きいアクセルを少しだけ踏み込み、ゆっくりクラッチをつなぐと、シビックは半世紀近い時の流れを巻き戻すように動きはじめた。
初期型のCVCCはレスポンスがいまひとつというハナシも伝えられるが、完璧にメンテナンスされた個体に乗る限りはいたって普通。吹き上がりも軽やかだ。もちろん貴重な動態保存車ゆえいたわるように走ったが、パワーバンドまで存分に味わってみたい衝動に駆られる。
クラッチは踏力が軽く、4速MTもシンクロが効いて変速操作はスムーズ、確実。ステアリングもパワーアシストのない“重ステ”にかかわらず、これもパワステのように軽いのだ。ギヤ比はスローで、操舵量は今どきのクルマよりかなり多い。それでもノーズが向きを変えれば、昔のFFながらアクセルオンでもアンダーステアの兆候がなく、軽快なハンドリングの一端をかいま見た気がした。
ツインリンクもてぎ内ホンダコレクションホールで5月31日まで開催歴代シビックが一堂に会する企画展「CIVIC WORLD 受け継がれるHondaのDNA」 初代は館内の企画展にも展示されている。ズラリと並んだ歴代モデルに、思わず懐かしさが込み上げる。
2代目(1979年) 3代目(1983年)2代目「スーパーシビック」は、初代のコンセプトを継承。筆者が実際にステアリングを握ったのは、3代目の「ワンダーシビック」からだ。学生時代、友人がハッチバックの1.3Lホンダマチックを持っていて、これは正真正銘の重ステだった。コーダトロンカの弾丸フォルムは、今見ても斬新で抜群にカッコいい。
「私はトールボーイの初代シティや2代目プレリュードのデザインでホンダにあこがれ、1983年に入社しました。初めてデザインスタジオに行くと、そこには3代目シビックのモックアップ、リトラの3代目アコードのクレイモデルがあって、ホンダデザインの先進性にあらためて衝撃を受けました」デザインセンター・アドバンスデザイン室の大蔵智之さんも、当時をこう振り返る。
そして、4代目「グランドシビック」、5代目「スポーツシビック」、6代目「ミラクルシビック」、7代目「スマートシビック」と世代交代。
4代目(1987年)5代目(1991年)6代目(1995年)
7代目(2000年)「シビックはわりと奇数代でオリエンテッド的なことをやり、偶数代では先代のコンセプトを踏襲するかたちでモデルチェンジしてきました」(大蔵さん)
8代目(2005年)現在に続く変遷で大きな転機となったのは、通称が使われなくなった8代目だ。初代フィットの投入で7代目ハッチバックが販売不振だったことを受け、国内はセダンのみの設定に。しかも、セダンは北米ニーズを重視した3ナンバーワイドのミッドサイズに変貌を遂げた。そのセダンも売れ行きは芳しくなく、9代目でシビックは国内からいったん姿を消すことになる。
9代目(2011年)タイプR それでも、クラスで世界最高峰の走りを標榜するタイプRの系譜が途絶えることはなかった。7代目の「ユーロ」に続き、8代目と9代目では欧州シビックをベースに開発されたタイプRが限定ながら導入されている。
10代目(2015年)現行の10代目は欧米でそれぞれ専用だったボディを統一。これも海外専用モデルと思われたが、国内のブランドイメージ強化を図るべく、北米から約2年遅れで導入された。もっとも注目を集めたのは、やはりタイプR。ハッチバック、セダン同様に限定でない常時販売モデルとしてラインアップされたのだ。
(現行型最終限定モデル試乗に続く・・・)
〈文=戸田治宏 写真=岡 拓〉