2020/10/28 コラム

マックス・フェルスタッペンのお父さんってどんなドライバーだった?〈1996年〉【連載第21回目:熱田護のF1勝手に片思い】


1996年シーズン、2回目です。
写真は、冬のテスト、ポルトガルのエストリルサーキット。朝のピットロードです。
2人は同じフランス人で、大先輩のアラン・プロストさんとジャン・アレジ選手。
プロストさんはこの日、マクラーレンのテストドライブをするためにレーシングスーツを着ています。



プロストさんが、現役マシンで走行した最後になるのかもしれません。
このテストのフィールバックの内容がどうだったのかわかりませが、当時のマクラーレンのエンジニアがプロストさんの意見が欲しいと願ったことは確かです。



みなさん、フォルティ・コルセというイタリアのF1チームがあったのを覚えていますか?
ドライバーがアンドレア・モンテルミニ選手とルカ・バドエル選手。
前年の1995年から参戦していて、ブラジルの大金持ちの息子のペドロ・デニス選手の持ち込み資金で参戦したものの、1996年にはデニス選手に逃げられてしまい、資金不足が顕著に。1996年の第10戦のイギリスGPを最後に消滅してしまいました。
マシンのパフォーマンスもなく、ブラジルグランプリの予選はポールのヒル選手の約5秒落ちで、ギリギリで予選通過するという感じ。

このフォルティのような、弱小チームがエントリーできた最後の時代だったような気がします。



上のフォルティで書いたデニス選手が、この年乗ったのがリジェ無限ホンダ。
この写真で見える、ARISCO、PARMALAT、Kibonはデニス選手の持ち込みスポンサーです。
現代のランス・ストロール選手の少し縮小版という感じでしょうか?
この参戦初期のころは、ペイドライバーなどと言われることもあったけれど、徐々に速さを身につけて99参戦を記録しています。

モータースポーツというものは、F1に限らずお金とどうしても切り離せないスポーツ。
シートを得るには才能と運で突き進むか、お父さんの財力でシートを得るか・・・大きく分けてその2つの道があるわけですが、僕の親父にその財力があれば・・・なんてね。



ヨス・フェルスタッペン選手。
今をときめく、マックス選手のお父さん。1994年にベネトンからF1デビューしました。それ以降、間を挟みつつ下位チームを転々として2003年までF1に参戦。当時から、オランダ人のファンが大挙してサーキット来ていました。
でも、成績は息子さんのほうが優秀ですね。
さらに、暴行事件も何度かあり、喧嘩っ早いようです・・・。

よくできた息子さんでよかった・・・!



この年から、ブリヂストンのF1参戦に向けてのテストがはじまりました!
なんだか、ワクワクしたのを覚えています!
このマシンは、アローズをブリヂストンが購入して鈴鹿サーキットでテストしたときの写真です。
ドライバーはリカルド・ロセット選手。

〈文と写真=熱田 護〉

ドライバーWeb編集部

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